嵐をおそれたことなど、いちどもありません。
なにもおそれることは、ありません。
なぜなら、わたしたちのほんとうのすがたは、「ひとつ」だからです。
You should have nothing to fear.
Because our real form is “ One ”.
わたしたちのこころも からだも ひらいてくれる 不思議な 花。
長年、そわそわする春の感じが苦手でした。桜もあまり好きではありませんでした。
写真を撮るようになって変わりました。
桜は、なにも言わずに心に寄り添います。
暖冬で花芽がつくのが遅かったのか、より暖かな都心の桜よりも、近所の桜の方が早く咲き始めたのも印象的でした。新型コロナの影響で満開の時期と外出自粛が重なりましたが、カメラをとおして、桜と「バッチリと目が合う」瞬間があり、私はその一瞬で、満たされてしまいました。時間の長さじゃないのだなぁと思い知った出来事でした。
暖冬の年ほどドカ雪になりやすいと聞いたことがありますが。例年より早く桜が咲いた今年、3月29日に東京にも思わぬ量の雪が降りました。私はと言えば、「雪だ!」と、朝から雪の中へ飛び出しました。
2020年の桜の写真をアップしていたら、2019年の桜を全く整理していないことに気づきました。2019年の春は、何回も裏高尾へ通ったのでした。高尾山自体は、年間300万人もの人出でいつでも賑わっていますが、その裏側である「裏高尾」ののんびりとした里山の空気が好きです。
2019年の桜その2「ご近所の桜」。驚くのは、「あぁ、昨年は、こんなにみんな桜の下に集まってきてお花見してたんだ」ということ。なんだかとても懐かしいです。
2018年に続いて、定点観測してみました。
冬が厳しく、3月に入っても寒暖の差が大きかった今春。武蔵野・国分寺の桜は、東京都心の開花宣言より1週間遅くひらきました。けれど、一旦咲き出したらとまらない。朝咲き始めと思っていたら、帰宅する夕方には3分咲きに・・・日に日に大きく変化して行きました。だから、毎日目が離せず(喜)暇をみては桜に会いに行きました!
咲き始めの桜は、ぱちぱちと弾けるようにエネルギーが溢れていました。数日たつと、宙にふわりと浮かんでる。「咲く」には「意志」があるのだと、感じました。それは「個」「我」の意志ではなく、樹木界、自然界、宇宙の意志。意志によって蕾を破ったら、あとは摂理にのって、ゆだね、すると勝手に、ただ花びらはひらかれてゆく。そして風が起こり、虫たちがやってきて、次の生命へと繋がっていく。
日本人は、その自然の摂理のはたらきそれぞれにヤオロズの神(美)を見出してきたんだろうなぁ。
●そうしたわけで、今年は写真が多いです。そして、咲き始めから満開・散り際までの花の雰囲気が伝わるようにスライドも時系列で並べてみました。
そういえば、今年の桜は、薫りが濃かったのも印象的でした。
植物たちは7年前から厳冬を予知し準備をするという。動物たちもそれを察知し、動く。
人間は・・・、どうなのでしょう?
<定点観測>上 2018/3/25朝 → 下 2018/3/27朝。咲き始めたと思ったら、丸二日で急速に見頃へ。
お花見をしたのは、風の強い春の日でした。さんざめく花と光の波、波、波。
老若男女が浮かれそぞろ歩き。人の似合う桜の魔法の国でした。
※写真はクリックすると拡大します。
写真を撮る時期を逸してしまった2016年。開花時期のちょっと遅い八重桜や枝垂桜を目指して歩いていたら、突然の桜吹雪に遭遇しました。お日様であたためられた、散りたての桜の花びらを触ったら、びっくりするほど温かかった。
枝垂の八重桜のかわいらしさに、フラフラになりました(笑)
桜吹雪のただ中で、こんなにも花びらを浴びたのは、初めてです、きっと。
今年は、たくさんの桜と出合うことができました。いろんなニュース、誰かの言葉・・・私たちを取り巻く世界は毎日・毎分のように情報が流れていくけれど。聖書の言葉に「聞く耳を持つものは聞きなさい」とあるように。この目の前に、こんなにもありふれた中に「ほんとう」のことがあると、咲き誇る桜をみていると思います。
この目をもつわたしは、みつづけよう。空を見よう。花を見よう。
東京・六義園の枝垂桜です。桜を待ちわびて、桜に魅せられて、桜をたのしむ、そんな「人たち」っていいなぁと、あらためて思いました。そういう“桜”のある風土に感謝です。(Rikugien Gardens Website )
桜をたどって、東京一周できるんじゃないかな。気づけば、それくらい、あちこちに桜がある。
桜を愛でて、桜とともに私たちの心のうちにも春がくる。桜のある景色は、人々の息づかいとぬくもりのある景色。